
ジャンク屋で手に入れた5代目の三脚を持って夜の街を徘徊しています。この夜は60度のフィルターを購入して、勇んで撮影に出掛けました。反則技ですが...。

どうしても、ここに足が向きます。ほんのりとした潮の香が、昔なじみの「メリケン波止場」を彷彿とさせてくれますが、目にする光景はずいぶん違います。

ここまでやると、エゲつないですね。やはり、フィルターの使いどころは限られているようです。
ひとつまた勉強しました。
- 2007/12/21(金) 00:34:00|
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先頃、横浜・山下町の外国人居留地の遺構が発掘され、その見学会に行ったときの1枚です。ほとんどが関東大震災で崩壊した建物の跡です。これほど大がかりに発掘されていたとは知りませんでした。嬉しい驚きです。しかし、調査が済んだら跡地利用のために取り除かれる公算が大きいとか...。
フェンスの向こうが本町通りで、大きなビル群は中華街を出たあたりになります。中華街は震災で建物がことごとく壊滅した、地盤の弱いところです。私はこのあたりで最近続いている高層ビル建設ラッシュを目にするたびに、「ほんとに大丈夫なの」と思います。それなりの耐震設計にはなっているのでしょうが、過信は禁物です。

上の写真ので見学者が群がっているあたりから撮った、幕末期の外国商館跡。横浜居留地でも最古の建物の跡です。自然石の礎石が並んでいる中に、焼けこげた木材も残っていました。かつての居留地55番、江ノ島の「コッキング苑」の主だったサミュエル・コッキングも、この地で貿易商社を営んでいました。ダンプカーの向こうは、関東大震災に耐えた旧露亜銀行(旧警友病院別館)。

上は、西側の発掘現場で、居留地54番です。奥が露亜銀行で、右上端が、これも震災を生き延びたフランス積みレンガ建築で知られているモリソン商会。ちょうど、震災直後はこんな風景だったのでしょうか。

上奥の白い看板には「駿河町通り」と書いてあります。震災後の区画整理で廃止された小路が姿を現したわけです。右の方に黒い下水の土管がまるで昨日埋めたようにきれいに残っていました。衝撃を吸収するために粘土で保護されていたそうです。この土管の上が駿河町通りで、まん中の石の並びは側溝です。右上のほうに少し見える細い管は鉄製でガス管ではないかという話でした。この管につながったガス灯が古い港町の夜をほのか照らしていたのでしょうか。ロマンを感じます。

ということで、復刻版の「ガス灯」でオチがつきました。
- 2007/12/01(土) 23:06:56|
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